労働災害、退院後の愛妻のお話

 どうも✋「自分らしく生きよう」です。

 

 最近、水害が多くニュースで見ますね(-_-;)雨の降り方が以上ですよね。

 2年前、私が住んでいる周りでもすごい雨が降って、土砂崩れで道路がなくなっていたり、町中が冠水で車が通行できなくなっていたり、職場から自宅に帰ることが困難な事がありました。

 命を第一に考えた行動が大事ですよ!!皆様、気を付けましょう。私も、先日の雨で大丈夫だろうと思い、家の中に居ました。雨が止んだので外に出た所、道が冠水していました💦

 

 今回のお話は「退院後の愛妻のお話」です。

 私は2020年2月29日(土)に労働災害に遭い、職場復帰はしましたが、いまだに病院に通院しています。リハビリも継続中です。後遺症は確実に残ります。

 詳しくは過去のブログをご覧ください。

 

m-fukukawa.hatenablog.com

 

 

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  私は労災で左腕と右足を骨折してしまい、普段の生活が出来ませんでした。歩くことも出来ませんでした。

 

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右足

 しかし、息子の中学の入学式にどうしても参加したくて主治医に無理を言って退院しました。

 

 

 

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左腕

 

 歩くことも出来ない、着替えも一人では出来ない私を看病する生活が始まりました。

 

 まず、家の中の移動です。車椅子を使用することも出来ませんし、左腕も骨折していたので松葉杖も使用できませんでした。

 右手と左足しか使えない体だった私は、移動手段を子供の机の椅子を使用することにしました。キャスターが付いていますし、安定しています。私の家はバリアフリーだったので、この方法で移動しました。

 トイレに行く時には、妻同伴で片足で移動しました。ようが済んだら妻を呼び椅子に移動する。家の中の移動とトイレはクリアーしました。

 

 次はお風呂です。椅子のままではお風呂に入れません。ホームセンターやドラックストアーの介護グッツコーナーなどで、介護用のお風呂の椅子が売られていることを知っていた妻が、私の退院する前に購入していました。

 湯船に入ることが出来なかった私はシャワーだけでしたが、頭からつま先まで全て妻が洗ってくれました。感謝

 

 右手が使えても左手が使えないと食事も不自由でした。ご飯は茶碗を持たないと食べずらい、器を待ちながら食べる事が出来ないと食べ物を口まで運ぶことがなかなか困難でした。妻はなるべくフォークやスプーンで食べられる食事を考えて作ってくれました。しかも、家族が飽きない様に毎日違うメニューで毎日3食、作ってくれました。

 

 妻に一番申し訳なく、感謝していることは、睡眠。寝る事です。

今まで私は別途ではなく、布団を床に敷き寝ていました。床に座ったり寝ると起き上がることが出来ない体になっていた私の体。

 私が退院する前に、妻と息子二人が一階の和室に息子のベットを用意してくれていました。妻は私のベットの横に布団を敷き、毎日私の近くで寝ていました。

 私は、左腕と右足の骨折の為に寝返りが出来ませんでした。夜中に何度も目が覚めていました。不思議と目が覚めるたびに妻が「大丈夫?」と声を掛けてくれました。私が目覚めると不思議と声を掛ける妻。私は妻に「眠れているの?」と聞くと「寝てるよ」と言いました。「目が覚めると声を掛けてくれるじゃん」というと「何かを感じるんだよ。付き合い長いからね。」と言ってくれました。感謝!!

 

 労働災害に遭ってから半年くらいにたち、歩ける様になってからも、職場復帰するまでの期間ずっと妻と一緒に行動していました。買い物も通院もずっと一緒・・・。

 

 今は職場復帰しましたが、妻には大変な思いや心配を掛けてしまったけど、ずっと一緒に居られて、私は凄く幸せでした。もちろん今も幸せです。

 

 妻には感謝しかありません。